蝉の朝は早い。日の出と共に鳴き出して夏休みのラジオ体操の時間の頃にはもう盛んに鳴いている。目覚まし時計をセットしなくても自然と目が覚めてしまう。時刻を確認しようとタップしたスマホの画面に『8月1日』の文字。7月もまた流れるように過ぎていった。
流れというのはある程度想像していた流れになる場合もあれば、思いもしない方へと向かう場合もある。特に自分以外の人が関わる物事は思いもしない方へと流れが向かうことが多いように感じる。関わる人が多ければ多いほど、なおさら。
他の人にも思いと考えがある。自らが何かを思い、考えを巡らせるように。そんな様々な思いと考えが一つに合流するのだから、想定していた流れと違う方へと向かうことがあるのは、多様な思いと考えが複雑に絡み合った結果として自然なのかもしれない。
時には思いと考えが一つに合流することも絡み合うこともない場合もある。それもまた流れのあり方の一つとして自然なことなのだろう。「こうあらねばならない」「ああしなくてはならない」なんて決めつけはそもそもないのだ。